(公社)色彩検定協会の発行誌 A・F・Tジャーナルに掲載されました

(公社)色彩検定協会の発行誌 A・F・Tジャーナルvol.65 【私の色彩History】に代表理事が掲載されました

 

「今から17年前2000年4月の事、カルチャースクールでの「パーソナルカラー1日体験」に参加したのが色との出会いです。色によりここまで人の印象が大きく変化するカラーマジックにとりつかれ夢中になりました。

早速大手書店に行き、パーソナルカラーに関する書籍を全て購入し読み漁りましたが、どれもあいまいな表現で納得いかなかったのです。

そこで偶然見つけたのが、ファッションコーディネート色彩能力検定対策テキストでした。とりあえず1級2級3級全級を購入し必死になって勉強しました。こんなに楽しくワクワクしながら勉強したのは生まれて初めてで、どんどん色彩の世界に没頭していきました。

思えば私の父方の実家がブライダル関係の会社をしており、特に着物の豊かな色彩やウェディングドレスは幼い私の心を魅了しました。

また母が趣味で洋裁をしていたので端切れをもらって遊ぶのが日課でした。物心ついた頃から私の周りは色彩で溢れ、その影響もあってか幼少期から色への強いこだわりがあったのも事実です。

その後、色には全く関係ない職業に就いたのですが、パーソナルカラーとの出会いで忘れかけていた幼少期の記憶が鮮明に蘇ってきました。

すでに愛読書となっていた色彩検定対策テキスト、3級2級を同時受験、2年後に1級を受験。この頃から少しずつ色の仕事をしていた私には講師養成講座のカリキュラムは魅力的で何の迷いもなく応募しました。とこらがなんと不合格、受講さえできないなんて?とかなりショックを受けたのを記憶しています。何としてでも受講したい思いで翌年小論文対策講座に通い、2年越しで講師養成講座の受講切符を手にすることができました。

ところが舞い上がったのもつかの間、想像以上の厳しさとレベルの高さに毎回悪戦苦闘、ついてくのに必死でしたが、さまざまな分野での幅広い色彩学について学べた事、何より公式テキストの著者が講師というのが魅力でした。また学んだ知識を初学者にいかに分かりやすく伝えるか?この事を学べたのが私にとっては一番の財産となりました。今でも「講師たる者は一教えるのにその30倍の知識と努力が必要である・・・」の坂田先生の言葉が脳裏に焼き付いています。

2006年の講師養成講座の受講をきっかけに色の専門家として、ブライダルの専門学校での色彩学や料理の専門学校でのテーブルカラーコーディネイト、美容師の専門学校では似合わせ色彩学を、また大学では非常勤講師として色彩学を担当。企業では色彩に関するさまざまな研修、ファッションの分野ではカットソーの商品企画に携わり定番色の12色をマンセル値化、エクステリアの分野では賃貸マンションの外壁塗装の提案、最近では某化粧品会社と契約を結び、商品企画やディスプレイ、社員研修を担当など幅広い分野での仕事が可能となり、更なる広がりを経験させてもらっています。

私が仕事をする上で特に心掛けていることは「色彩学」は「色彩楽」と伝え、色を楽しみ、五感を通じて見て感じて体で色を学んでもらうことです。ゲーム感覚で楽しむ「色の神経衰弱」や「色相環作り」など養成講座で学んだ事はとても役立っています。また形のない色の仕事は自分自身が商品と考え、学校での授業では可能な限り毎回洋服の色やデザインを変え、企業での研修、セミナーなどではその企業のコーポレートカラーの洋服を着て行くようにしています。

長年色に携わってきて思うのは、日本社会はまだまだ色への意識が低いということ。企業において色の専門家が色彩に関する部門を担当しているのは稀です。形のない色の重要性をいかにわかってもらい仕事に繋げるかが今後の課題です。そんな思いの中、一個人で動くのでは力不足、ならばと一念発起、2017年9月1日「一般社団法人国際カラープロフェッショナル協会」を設立しました。

この協会は正しい色彩の知識を持った色彩の専門家が、色彩の知識を伝えることにより、人と企業、日本と世界を色彩でつなぐ懸け橋となり、色彩の重要性を広めることを目的としています。また職業としての色彩の専門家の社会的に認知度を上げる為に、正しい知識と技能を持った人材育成への取り組みにも推進しています。

この協会を通じて、色の業界が更に発展することを願っています。

今後の目標は色彩学を一般教育に導入してもらうこと、社会人になって一から色彩を学ぶのではなく幼少期から遊び感覚で色彩の基礎・法則を学べば、色彩感覚・センスが養われ、大人になってあらゆる分野において役立つと確信しているからです。

まだまだ解明されていない部分が多い色彩、今後も止まることなく更なる探求心をもって私自身も学び続けていきたいと思っています。」